2016年10月26日水曜日

激化する中国の権力闘争(3):習近平と李克強の権力闘争はあるのか?習近平の「三期続投」はあるのか

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yahooニュース 2016年10月18日 15時55分配信 遠藤誉  | 東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授
https://www.youtube.com/watch?v=HV6gtimmNvU

習近平と李克強の権力闘争はあるのか?Part 1
――論点はマクロ経済戦略

 習近平と李克強の間の権力闘争が激しいという報道が目立つ。
 江沢民に買収された香港メディアに惑わされている。
 中国の実態を見極めない限り、日本の正確な対中政策は出て来ない。
 そのまちがいと論点を考察する。

◆中国政治構造の基本を知らない誤分析

 中国政治の基本は「党と政府」あるいは「中共中央と国務院」という「ペア」で動いていることだ。
 党(中共中央)で会議を開催して議論する議題は、同じ時期に政府(国務院)でも同じように会議を開くか、あるいは「座談会」を開催するかなどして議論する。
 いうまでもなく、「同じ議題に関して」だ。
 これが第一の基本で、次に「イロハ」として頭に入れておかなければならないのは、中国は「一党支配体制の国家」であり、全ては「党」が先に決定して、政府(国務院)は、その決定に従う「執行機関」に過ぎないということである。

 この「党の決定」には、いくつかのレベルがあり、年に一回開かれる第○次中共中央委員会全体会議(三中全会とか五中全会とか呼ばれている会議)と中共中央政治局会議および中共中央政治局常務委員会会議などがある。
 李克強国務院総理が、どんなに政府側のトップであっても、必ずその前に「党の決定」がなければならず、その決定を執行する、いわば事務方の業務が、中国で言うところの「政府(国務院)」なのである。
 それでも「政府」を前面に出しているのは、人民に対しても、また国際社会に対しても、「一党独裁」ではなく、「ちゃんと全人代(全国人民代表大会)を通して合法的に国家を運営していますよ」という見せかけの虚構を構築するためだ。
 この基本を忘れてはならない。
 この基本を知らない間違った分析には、たとえば以下のようなものがある。

1.2016年3月の政府活動報告

 「習近平の目を通しておらず、李克強の一存で書き、習近平に対抗しようとしている」
といった趣旨の分析があるが、政府活動報告と第13次五カ年計画の内容は、2015年11月に開催された「五中全会」で討議し決定している。
 全人代における李克強の報告は、あくまでも五中全会の決定を文書化した「事務的作業」に過ぎない。

2.地方視察に関して

 「2016年4月24日に李克強が四川省を視察しているのに、同日に習近平が安徽省を視察したのは異例で、北京に党内のナンバー1とナンバー2がいないのは、対抗心以外のなにものでもない。
 きっと相手の日程をこっそり調べて、わざとぶつけているにちがいない」
といった趣旨の分析がある。
 これもまったく見当違いの分析で、2016年4月には、「地方視察を徹底する」という、中共中央政治局会議の決定と日程調整に従ったまでだ。
 たとえば関連する中共中央政治局委員の日程を見てみよう。

4月11日~14日:孫春蘭(中央統一戦線部部長)、陝西省視察
4月17日~20日:張徳江、湖北省視察
4月22日~25日:劉雲山、陝西省視察
4月24日~27日:習近平、安徽省視察
4月24日~27日:李克強、四川省視察
4月24日~25日:劉延東(国務院副総理)

 たしかに習近平と李克強の日程だけを取り出せば重なっている。
 そして党内序列ナンバー1とナンバー2が同時に北京を離れることは、一般にはそう多くはない。
 しかし、調整がつかない時には党内序列ナンバー3か4が北京にいて、なんとか緊急事態に対処するという大原則が、党の政治の中にある。
 このとき北京には党内序列ナンバー3の張徳江あるいはナンバー4の兪正声がいたはずで、これを以て「習近平・李克強の権力闘争」とするのは基礎知識の欠如によるものと判断される。

3.同じ議題の会議の同時開催に関して

 「5月6日に劉雲山が“習近平の人材体制開発”に関する学習会を開き、同じ日の5月6日に李克強が類似のテーマの“人材資源の座談会”を開催したのは、習近平の李克強に対する嫌がらせである」
という分析がまかり通っている。
 これは、まさに「党と政府」「中共中央と国務院」という「ペア」になっている政治の基本を知らない顕著な例と言っていいだろう。
 同様の例は
 「3月22日に習近平が開催した“中央全面深化改革領導小組第22回会議”と6月27日に開催した“中央全面深化改革領導小組第25回会議”に李克強が出席していないのは、李克強を排除するための習近平の暗闘以外のなにものでもない」
という分析にもみられる。
 しかし第23回会議(4月18日)および第24回会議(5月20日)には、李克強は出席しており、22回会議の時は李克強は海南島で開催されていたボーア・フォーラム(3月22日~25日)に出席しており、第25回の時は、天津で開催された夏季ダボス会議(6月26日)に出席していた。
 また、2人の間に権力闘争があるとする論者は、
 「7月8日に習近平が“経済形勢専門家座談会”を開催したというのに、それに対抗して李克強が7月11日に“経済形勢に関する専門家と企業家による座談会”という同じテーマで座談会を開き、互いに相手が主宰した座談会に出席していないのは、二人が対抗している動かぬ証拠だ!」
と主張する。
 これも中国政治構造のイロハを知らない人たちの邪推に過ぎない。

◆論点はマクロ経済――国家経済政策に関する重点の置き方

 それなら習近平と李克強の間に、まったく論争がないのかと言ったら、そうではない。
 大きな意見の相違がある。
 それは中国経済のマクロ政策に関する両者の観点の相違だ。

●李克強の考え:市場化、城鎮化、イノベーション
 李克強は北京大学で経済学を学んだだけでなく、国務院副総理時代(2008年3月~2013年3月)から政府系列の国家経済に関して担当していた。
 だから経済に強いし、また国内に山積する問題に関して強い関心を持ち、それを先に解決しないと中国の国力は落ち、一党支配体制が維持できないと考えている。
 だから彼の主張は「国営企業の構造改革と市場化・民営化」および「2.67億人に及ぶ農民工の定住のための城鎮化(都市化)政策」を重視し、そのために「イノベーションを加速させる」が最重要課題だと考えている。
 生産能力過剰は供給側の問題で、国有企業の改革が肝要と主張する。

●習近平の考え:一帯一路(党が全てを決めるという毛沢東的発想。党司令型)
 習近平は今さら説明するまでもなく、毛沢東とともに戦った革命第一世代の「紅い血」を受け継いだ「紅二代」だ。
 親の習仲勲のお蔭で、文化大革命後に軍関係の仕事に就いたが、大物の下にいると、いつ政権変動が起きて権力者が引きずり降ろされるか分からないので地方から叩き上げよという親の忠告で地方の党の仕事を始めた。
 その「地方」のレベルをどんどん上げていき、江沢民の推薦により、2007年の党大会で国家副主席の座に就き、こんにちに至っている。
 そこで見られるのは、親(紅一代)の七光りにより「党」の指導者側に立って歩んできた道のりである。
 経済に関しては、素人だ。
 だからあくまでも「党が全てを決める」という「党司令型」の思考回路しか持てず、経済に関しても「中国の特色ある社会主義政治経済学」という、「党司令型」の経済を提唱している(たとえば、7月8日の経済座談会)。
 言うならば、毛沢東時代の「哲学政治経済学」を踏襲しており、実は改革開放が目指すべき「市場経済的思考」からは、ほど遠い。
 結果、生産能力過剰は「党主導の一帯一路構想で解決する」というのを、最優先としている。

 こには、中国経済の未来、もっと言うならば中国の未来が掛かっている決定的な分岐点があるのだが、習近平にはそれが見えていない。
 そこで経済学者の「劉鶴」を頼りに、彼にブレインの役割をしてもらっている。
 独断を続ければ、文化大革命を招いた毛沢東と劉少奇の関係になりかねないので、劉鶴に助言を求めたのは、非常に良いことだ。

◆「権威人士」の発言――本当に李克強を攻撃しているだろうか?

 5月9日に、党の機関紙である「人民日報」に「権威人士」と名乗る人物の評論が出た。
 それは表面的には「劉鶴が、李克強のマクロ経済戦略を(習近平に成り代わって)攻撃している」ように見えるが、詳細に読んでいくと、必ずしもそうではない。
 「供給側の構造改革を行なわない限り、中国の経済は破綻する」
という含意がキッチリ含まれており、しかも
 「我々の目的は政府の干渉を減らすことで市場のメカニズムに委ねなければならない」
とまで明言している。
 なんと、これは李克強の意見に一致しているではないか。

◆香港メディアを操る江沢民

 これら一連の現象を、すべて「権力闘争」に矮小化したがる影の軍団がいる。
 それを操っているのが、江沢民だ。
 やがて「大虎狩り」のターゲットが自分に向けられることを知っている江沢民は、習近平の力を削ごうと、一部の香港メディアを買収して、盛んに「権力闘争説」を流しまくっている。
 日本のメディアや一部の中国研究者は、すっかりその情報に乗っかってしまい、論理的に中国政治構造との間に矛盾があることも考えず、凄まじい勢いで「習近平と李克強の権力闘争説」を拡散させているが、これが日本の国益にかなうか否かは、論ずるまでもないだろう。
 結果、どうなるのかに関しては、長くなりすぎたので、今後継続して論じていきたいと思う。



ニューズウイーク 2016年10月20日(木)18時30分 遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/10/part-2_1.php

習近平と李克強の権力闘争はあるのか?Part 2
――共青団との闘いの巻

 習近平と李克強の間の権力闘争に関する第二弾として、今回は習近平が李克強の権力を削ぐために共青団(中国共産主義青年団)を弱体化させようとしているという報道に関して考察する。

【参考記事】習近平と李克強の権力闘争はあるのか?――論点はマクロ経済戦略

■習近平が共青団を狙い撃ちしているという報道に関して

 胡錦濤時代に中共中央書記処書記兼中共中央弁公庁主任として、胡錦濤の最も身近で仕事をしていた令計画が2015年1月7日に逮捕されたのをきっかけに、
 「習近平がついに共青団の弱体化に手を付け始めた」
という報道が散見される。
 これはとんでもない誤解で、腐敗撲滅に関しては、実は胡錦濤政権時代からあり、2003年に「中央紀律検査委員会 中央組織部」なる「巡視組」を設立させて、なんとか腐敗分子を摘発しようと試みていた。

 しかし胡錦濤時代の中共中央政治局常務委員(チャイナ・ナイン)は、胡錦濤派(胡錦濤を支持する者)3人に対して江沢民派6人。
 多数決議決で何をしようとしても「政治が中南海を出ることができない」状態だった。
 なぜなら腐敗の総本山は江沢民だからだ。
 2009年に「中央巡視組」と改名したが、それでも江沢民派に抑えつけられていた。

 ところが習近平政権(チャイナ・セブン)になってから、事態は一変した。
 そもそも習近平自身が江沢民の推薦によって2007年に国家副主席になっていたことから、江沢民としては習近平を抑えつける手段が困難となった。

 一方、腐敗がここまで蔓延したのでは、一党支配体制はこのままでは崩壊することを、チャイナ・セブンの誰もが認識していたので、中共中央紀律検査委員会の力を強化し、王岐山を書記として「中共中央巡視工作領導小組」の調査に基づき、腐敗撲滅に向かって猛進し始めた。
 そのために「第一輪 巡視」「第二輪 巡視」「第三輪 巡視」......といった感じで、全国の大手国有企業だけでなく、教育部とか中国社会科学院あるいは新華社に至るまで、全ての国家組織が調査の対象となったのである。
 その数は大きく分ければ百を超しており、小さく分類すれば何百にも及び、ようやく順番として共青団も対象となっただけのことだ。

 現在、中国共産党員の数は2015年末統計で8779.3万人。
 共青団団員の数も、2015年末統計で8746.1万人。

 共青団員はやがて、ほぼ全員が中国共産党員となる。
 いわば共産党員予備軍である。なんとしても一党支配体制を維持したい習近平政権にとって、
 党員の予備軍である共青団を大事にしていかなければ、政権基盤は弱体化する。
 いまや文化大革命などの政治運動の時代は終わり、安定的な党員の供給源は共青団なのだ。
 やがて、「かつて共青団でなかった共産党員はいない」日がやってくる。
 その共青団をやっつけて、どうする。

■昨年の軍事パレードで李克強が司会
――李克強を見くだしたとする報道

 「習近平・李克強の権力闘争」というメガネを通してしか中国分析ができない人々は、驚くべき情報を発信している。
 たとえば2015年9月3日の抗日戦争勝利記念日において挙行された軍事パレードの司会者が李克強であったのは「習近平への権力集中を象徴する」という分析である。

 それによれば、
 「過去における軍事パレードの司会は、北京市トップが務めていた。
 (中略)
 だが、(李克強)首相が司会役に成り下がったのは、習近平への権力集中を象徴する」
というのである。
 この文章を書いたのは、筆者が一目を置いてきた、数少ない日本のジャーナリストの一人だ。
 高く評価していただけに、この文章を読んだ瞬間、彼が書くものすべてに対して信用を無くしてしまった。

 なぜ、そこまでの衝撃を筆者が受けてしまったかというと、2015年9月3日に、中国が抗日戦争勝利記念日に軍事パレードを行ったのは、中華人民共和国建国以来、初めてのことだからである。
 抗日戦争勝利記念日の全国的な式典自体さえ、1995年まで行なったことがない。
 北京市のトップが司会をしてきたのは、10月1日の「建国記念日」である「国慶節の祝典」だ!
 抗日戦争勝利記念日における軍事パレードではない!
 おまけに毛沢東は、1949年10月1日に中華人民共和国を建国させて以来、1959年までの国慶節においては軍事パレードを行ってきたが、1960年からはやめてしまった。

 国慶節の祝典も、「5年に一度、小規模の祝典」を、そして「10年に一度、大規模な祝典」をすれば、それで十分という指示を、1960年に発した。
 国慶節の軍事パレードが再開したのは、改革開放後、1980年代に入ってからで、国慶節の行事は「北京市共催」という形を取っている。
 だから、国慶節の時の司会は北京市のトップ(中国共産党北京市委員会書記)がするのである。
 現在は国慶節祝典活動領導小組というのが設立され、北京では北京市が共催し、各地方での祝典は当該地の政府が共催するという形を取っている。

 くり返して申し訳ないが、李克強が昨年9月3日に司会をしたのは、中華人民共和国建国後初めて行われた「抗日戦争勝利記念日の軍事パレード」における司会だ。
 抗日戦争に関する軍事パレードなので、中共中央軍事委員会の主席や副主席が指揮すべきで、本来なら軍事委員会副主席が司会をしても良かった。
 しかし、「軍」が突出し、「国家の軍隊」ではなく「党の軍隊」しか認めていない現状に対する国内の反発を恐れて、政府側の「国務院総理(首相)」に司会を依頼することがチャイナ・セブンの会議(中共中央政治局常務委員会会議)および中央軍事委員会会議で決定したとのことである。
 これは李克強を重視した決定であって、「首相が司会役に成り下がったのは、習近平への権力集中を象徴する」などということとは真逆だ。
 このように、中国という国の骨幹を知らない人たちが、江沢民が一部のメディアを買収して扇動している「権力闘争説」に騙されて、中国の現象を全て、その「色眼鏡」を通して見ていることの恐ろしさを痛感した。

 これでは中国の正確な分析はできない。

 なお、共青団の第一書記が中国共産党中央委員会総書記になるという現象は、トウ小平が「隔代指導者指名」をしてから、結果的に一代(一政権)ごとに繰り返されている。
 胡耀邦(1982年~87年)、胡錦濤(2002年~2012年)ともに、共青団の第一書記だった。
 習近平の次の政権は、やはり共青団第一書記だったという経験を持つ胡春華(現在、中共中央政治局委員、広東省書記)になるのではないかと予測されている。
 それを防ぐために李克強の力を削ごうとしているという憶測があるが、李克強は習近平が対抗しなければならないほどの力を持っているだろうか? 
 持っていないと筆者は思う。
 したがって、経済問題の論争以外、対抗する必要がない。
 習近平の方が圧倒的力を持っているし、国務院よりもはるかに「党が上」だからだ。
 経済問題も、ここのところ、互いに歩み寄りを見せており、まず李克強が盛んに一帯一路を強調し始めた。「党の言うことは聞くしかない」からだろう。

 東北のゾンビ企業が閉鎖されたのは、「習近平が李克強をやっつけた」のではなく、「李克強が国営企業を痩身化させなければならないと主張してきたことが実現された」のである。
 この基本が分かってないと、中国経済の行方さえ見えなくなる。
 そのようなことをしていたのでは日本の国益にかなうとは思えない。
 習近平と李克強に共通しているのは、
 「自分たちの代で中国共産党の一党支配体制を終わらせてはならない」
という、逼迫した思いだ。
 習近平はラスト・エンペラーにはなりたくない
と思っている。
 そのためには、李克強の力が、一定程度は必要なのである。

 一党支配体制の崩壊要素は、目の前に横たわっているのだから。
 2022年に来るであろう次期政権に関しては、またいつか改めて分析したいと思う。



ニューズウイーク 2016年10月25日(火)16時00分 遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/10/202219-2022-2023-20222027.php

「習・李 権力闘争説」を検証する Part3
習近平の「三期続投」はあるのか

 習近平が2022年以降も総書記&国家主席を続投するのではないかという憶測がある。
 来年の第19回党大会で定年を越えた王岐山を留任させて李克強を追い落とそうとしている説とともに。
 それらの可能性を分析する。

■「三期続投説」に関して

 習近平と李克強が激しく権力闘争をしているということを主張する人々は、さまざまな憶測を創りだしては、世をにぎわしている。
 その中に習近平が二期目の2022年以降も総書記 (2023年に国家主席) の座を放棄せず、2022年から2027年までもトップの座に留まる可能性があるという「三期続投説」がある。
 そのためにいま開かれている六中全会は、習近平にとっては権力闘争の正念場だという分析をしている報道も見られる。

 そこで今回は、中国共産党においては、「任期は二期に限るという規定」があり、さらに国家主席に関しては憲法にその制限が明記されていることを、ご紹介しよう。
 前回のコラム「六中全会、党風紀是正強化――集団指導体制撤廃の可能性は?」を補足するなら「集団指導体制を撤廃するには民主集中制を撤廃しなければならず、民主集中制を撤廃するには憲法改正を行なわなければならない」ということになるが、「三期続投」を実行する場合も憲法を改正しなければならない。

■「任期は二期を越えてはならない」という憲法の制約

 中華人民共和国憲法の第七十九条には、「国家主席および国家副主席の任職は、(全国人民代表大会の任期同様)連続して二期以上を越えてはならない」という規定がある。

 第六十七条には「全国人民代表大会常務委員会委員長および副委員長の任職は、連続して二期以上を越えてはならない」という条文がある。

 さらに第八十七条には「国務院総理、副総理および国務委員の任職は、(全国人民代表大会の任期同様)連続して二期以上を越えてはならない」という条文がある。

 したがってもし、習近平が2023年後もなお「国家主席」でいることは、憲法上、許されないのである。

 習近平は
★.2013年3月から2018年3月までの5年間が、第一期目の国家主席、
★.2018年3月から2023年3月までが第二期目の国家主席で、
 合計10年間、国家主席でいることは合法的だ。
 しかし第三期目、つまり2013年3月以降も国家主席でいようということは、憲法第七十九条に違反するので、不可能である。
 それを可能にして「三期連続の続投」を実行するためには、憲法改正を行なわなければならない。

 この憲法改正は、憲法第七十九条だけではなく、常に全国人民代表大会常務委員会委員長に関する制約(第六十七条)と、国務院総理などに関する制約(第八十七条)と連動する形で規定されているので、もし習近平が連続三期「国家主席」でいようとすれば、これらすべての制約に関しても改正をしなければならなくなる。

 それだけではない。

 憲法第一百二十四条には「最高人民法院院長」に関しても「(全国人民代表大会の任期同様)連続二期を越えてはならない」という制約があり、第一百三十条には「最高人民検察院検察長」も「(全国人民代表大会の任期同様)連続二期を越えてはならない」と条文がある。

 つまり、中華人民共和国という「国家全体の枠組み」を改正しない限り、「国家主席の三期続投」は絶対に許されないことになっている。
 これほどきつい縛りがあるというのに、「権力闘争説」を主張する日本の論者あるいはメディアは、習近平が来年の第19回党大会において、王岐山を留任させることによって、自らの三期続投を可能ならしめようとしているという憶測を流布させている。

■党規定でも制約

 それなら、三期連続、中共中央(中国共産党中央委員会)総書記にだけなって、国家主席にはならないという選択肢もあるのではないかと、考える人もいるかもしれない。
 そのようないびつな形を取ってまで総書記として三期続投するということに意義があるとは思えないが、党規定の方ではどうなっているのかを、念のために見てみよう。

 実は2006年6月10日、中共中央弁公室は「党と政府の領導幹部職務任期に関する暫定的規定」という文書を発布している。
 「領導」というのは基本的には「指導」の意味だが、「指導」よりも「君臨して統率する」というニュアンスが含まれている。

 その第六条には、「党と政府の領導幹部は、同じ職位において連続二期の任職に達した者に関しては、同一職務において、二度と再び推薦することもノミネートすることもしてはならない」と規定してある。

 したがって、ありとあらゆる側面から、「三期続投」は禁止されているのである。

 この国家の基本構造とも言える憲法や党規約の制約を覆してまで、習近平が三期続投を試みようとするとは思いにくい。
 将来に汚名を残すことは明瞭だからだ。

 現在開かれている六中全会においても、この方向へ移行するための操作をすることは考えられないと判断すべきだろう。

■王岐山の扱いに関して

 ただし、王岐山が来年の第19回党大会で、一般に言われている年齢制限(68歳)を越えていても(王岐山は69歳)、チャイナ・セブン(中共中央政治局常務委員)に留任させるか否かは、実は別問題である。

 なぜなら、「七上八下」(党大会開催の時に67歳ならば次期政治局常務委員に推薦していいが、68歳になっていたら推薦することはできない)というルールは、あくまでも暗黙の了解事項であって、年齢制限に関しては、文書化された規約は全く存在しないからだ。

 したがって反腐敗運動のために、どうしても「余人をもって代え難し」と判断されたときには、王岐山を留任させる可能性はなくはない。

 このことが、決して「習近平の三期続投のための布石」にはなっていない、というだけのことである。

 ましていわんや、李克強を落すための策略など、あり得ないと考えていい。

 また、もし李克強がかつていた共青団を弱体化させたいと思っているのだとしたら、なぜ習近平は今年9月29日に「『胡錦濤文選』を学習せよ」などという指示を出したのだろうか。
 説明がつかない。胡錦濤は李克強を推薦した、言うならば今となっては生存者の中では共青団の総本山だ。

 胡錦濤を絶賛し、胡錦濤に学べという指示を出したということは、共青団を追い落とそうとしていない何よりの証拠だし、そのようなことをしたら、一党支配体制は間違いなく揺らいでしまうと断言していい。

 権力闘争説を前提とした中国分析は、日本にいかなる利益ももたらさない。
 慎むべきではないだろうか。



ニューズウィーク 2016年10月24日(月)16時00分 遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/10/post-6102.php

六中全会、党風紀是正強化
――集団指導体制撤廃の可能性は?

 24日から中国共産党六中全会が始まる。
 党員への監督強化と党風紀是正強化が討議される。
 全会は駆け引きの場ではなくハンコを捺す場だ。
 集団指導体制を撤廃するか否かと、獄中からの元指導層の肉声等を考察する。

■六中全会のテーマ―
―腐敗による一党支配崩壊を回避するために

 10月23日から27日まで開催される六中全会(第6次中国共産党中央委員会全体会議)の三大テーマは「従厳治党(厳しく党を統治する)」と「新形勢下における党内政治生活に関する若干の準則」の制定および「中国共産党党内監督条例(試行)」の修訂である。
 そのほか、この1年間で逮捕されたり党籍をはく奪された元党幹部たちの報告と党籍はく奪などの承認を得る。
 次期中共中央委員会委員の補てんなどをしなければならないからだ。

 「従厳治党」に関しては、第13回党大会(1987年)、14回党大会(1992年)、15回党大会(1997年)、16回党大会(2002年)と、これまで何度も討議されてはきた。
 なぜなら第11回党大会三中全会(1978年12月18日至22日)において「改革開放」を宣言して以来、社会主義市場体制の進展に伴って、党幹部の汚職が始まり、党員の堕落が一気に加速していったからだ。

 1987年の第13回党大会で討議され始めたということは、1989年6月4日の天安門事件発生の芽が、この時点ですでに予感されていたことを意味する。
 天安門事件により江沢民政権(1989年6月に中共中央総書記、1993年に国家主席)が始まっても、鄧小平の眼があり、「従厳治党」はしばらく続いた。

 しかし一方で、江沢民が「三つの代表」(2000年)に提唱して以来、金権政治全盛期となり腐敗が激しく蔓延した(その額やスケールなどに関しては、書名は良くないが拙著『中国人が選んだワースト中国人番付――やはり紅い中国は腐敗で滅びる』で詳述)。

 胡錦濤政権時代は、実質上、江沢民が握っていたので、胡錦濤には何もできない。

 腐敗はついに、中国共産党の一党支配体制を崩壊させる寸前まで来ていた。

 だから第18回党大会で習近平政権が誕生すると、党大会初日に胡錦濤が、最終日に習近平が、それぞれ総書記として
 「腐敗問題を解決しなければ党が滅び、国が滅ぶ」
と、声を張り上げて叫んだのだった。

 習近平政権においては「このままでは一党支配体制は腐敗によって滅びる」という危機感が高まり、また実際に臨界点まで至っていた。
 だから王岐山を書記とした中共中央紀律検査委員会の権限を強化し、大々的な「腐敗撲滅戦略」に突き進んだのである。

 日本のメディアでは、六中全会で「来年の党大会の人事の駆け引きがあるだろう」とか、「来年の党大会への権力闘争と権力集中への布石」などと六中全会を位置づけている報道が散見される。
 前者に関しては中央委員会全国大会は投票をして決議するだけで、いわば「ハンコを捺す」会議でしかない。
 駆け引きは、その前にしっかりなされている。
 後者に関しては、「中国を高く評価し過ぎている」と言うことができよう。

 習近平政権はいま、権力闘争などをしている場合ではないのである。
 一党支配体制が崩壊するか否かの瀬戸際だ。

 権力闘争説は、実は、中国がここまでの危機にあることを隠蔽してしまう。
 これはある意味、中国に利することにもなる。
 なぜなら、そのように海外メディアが見ている間は、中国にはまだ権力闘争をするだけのゆとりがあり、一党支配崩壊の危機が見破られないという「煙幕」の役割を果たしてくれるからだ。

 六中全会で何がテーマになるかに関しては、庶民に分かりやすいようにするためにイラストで紹介した頁があるので、これをご覧いただきたい。
http://news.qq.com/a/20161023/001587.htm

 「新形勢下における党内政治生活に関する若干の準則」の制定に関しては本稿の最後に述べる。

 「中国共産党党内監督条例(試行)」の修訂とともに、簡単に言うならば
 「腐敗は党員、特に党幹部の日常生活の心構えから出てくるもので、
 ほんのちょっとしたことから私利私欲が芽生えるものだ」
ということを説いて、自他ともに監督を強化して腐敗に手をつけないように心掛けよ、ということを謳ったものである。
 これらは、2014年に6回、2015年に1回、2016年に4回と、何度も討議を経て意見調整をして終わっているので、六中全会では票決して「決議されました」というハンコが捺されるだけになっている。

 決して「人事に関する駆け引きをする場ではない」ことを認識していただきたい。

■ドキュメンタリー「永遠在路上(永遠に道半ば)」
――元指導者らの監獄からの肉声と顔

 六中全会における「従厳治党」のテーマを人民に浸透させるために、中央紀律検査委員会宣伝部とCCTV(中央テレビ局)の合作で「永遠在路上」というドキュメンタリーが放映されている。
 「日常生活において、党の風紀を軽視していたために、ふと気が付いたら逮捕されるところまで来ていた」
というのがメインテーマだ。

 中国では裁判中の被告の顔や姿を平気でテレビで露出するという、実に残酷なことを実行している。
 世間から「顔」を隠しようもなく、自業自得とはいえ、それでも残っているであろう最後の自尊心を思い切り傷つけ大衆にさらす。
 死刑よりも終身刑よりも残酷な「刑罰」だと思うが、民衆はその「苦しみにゆがんだ顔」を見たがり、「絞り出す肉声」を聞きたがる。

 だから視聴率は実に高い。

 習近平政権はそこを狙い、周永康や令計画など、元政権の中枢にいた指導層の肉声を通して、「いかに日常生活における党員としての心得に隙があったか、どういうことから腐敗に手を染めるようになったか」などを懺悔させるのである。

 この画像をご覧になりたい方は比較的ブレが少ないこちらの「永遠在路上」をクリックなさると肉声を聞き、顔を見ることができる。


《永远在路上》 20161018 第一集 人心向背 | CCTV 2016/10/18 に公開

このことからも、腐敗問題に対する習近平政権のせっぱ詰まった窮状がうかがえるだろう。

■集団指導体制を撤廃するのか?

 「新形勢下における党内政治生活に関する若干の準則」の制定に関して注目されているのは、1980年2月に制定された
 「党内政治生活に関する若干の準則」の第二条に
 「集団指導体制を堅持し、個人崇拝に反対する」
という項目があることである。

 そのため、六中全会で「新形勢下における党内政治生活に関する若干の準則」の制定に関して討議するということは、集団指導体制を撤廃することを意味するのではないかという憶測が日本メディアに蔓延している。

 これは、十分には中国政治の深部を理解していないことから生まれてくる誤報と言っていいだろう。
 なぜなら、「集団指導体制」というのは、もう少し正式に、憲法にもある文言を使って表現すれば「民主集中制」ということになるからだ。
 「民主集中制」は、非常に分かりにくい概念であり、そこには中国共産党体制の「民主という言葉に対するまやかしがある」と思っているので、筆者はこれまで「集団指導体制」という言葉を使って解説してきた。
 その方が日本人に分かりやすいだろうという配慮もあったからだ。

 「民主集中制」を言葉通りに言うならば、「民主を基礎として、集団(集中)と集中指導下における民主との結合制度」となる。
 何のことか分からないので、もう少し日本人的感覚から説明するなら
 「少数は多数意見に従い(多数決)、
 党の各レベルの委員会は集団指導と役割分担が結合した制度に従う。
 個人崇拝を禁止し、
 党の委員会で討議決議する」
ということになる。
 これは要するに筆者がこれまで『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』などでくり返し説明してきた「集団指導体制」以外の何ものでもない。

 しかし、日本の報道は、この同一性を理解していないためか、「集団指導体制を堅持し、個人崇拝に反対する」と謳った1980年制定の「党内政治生活に関する若干の準則」を「新形勢」に合わせて見直すのだから、「集団指導体制を撤廃し、個人崇拝を許す」方向に行くにちがいないと憶測している。

 ところが、習近平政権が何度も会議を開き、最終的には2016年9月27日に開催した中共中央政治局会議で、10月に開催される六中全会の議題を決定し、そこで制定される「新形勢下の党内政治生活に関する若干の準則」の草稿に関して決議した。

 そこには明らかに「民主集中制」という言葉が存在している。
 つまり、六中全会で討議決議されることになっている「新形勢下における党内政治生活に関する若干の準則」には、「集団指導体制が盛り込まれている」ということになる。

 ただ、「集団指導体制」という言葉を「民主集中制」に変えて、また1980年に制定された同準則二条にある「集団指導体制を堅持し、個人崇拝に反対する」という露骨な表現をしていないだけである。

 したがって、六中全会で集団指導体制が撤廃されることはないと判断していいだろう。



Yahooニュース 2016年10月28日 11時38分配信 遠藤誉  | 東京福祉大学国際交流センター長
http://bylines.news.yahoo.co.jp/endohomare/20161028-00063802/

六中全会、集団指導体制堅持を再確認
――「核心」は特別の言葉ではない

 27日、六中全会閉幕時、習近平は集団指導体制堅持を複数回強調した。
 コミュニケに「習近平総書記を核心とする」という言葉があることを以て一強体制とする報道は間違っている。
 胡錦濤も江沢民も核心と呼ばれた。

◆集団指導体制堅持を強調

 10月27日、中国共産党第18回党大会第六次中央委員会全体会議(六中全会)が北京で閉幕した。閉幕に際し、習近平は中共中央委員会総書記としてスピーチをおこなった。
 スピーチにおいて、習近平は何度も集団指導体制を堅持することを強調した。
 その多くは「民主集中制」という言葉を用いて表現したが、「集団指導体制(集体領導制)」という言葉も用いている。
 これまでのコラム「六中全会、党風紀是正強化――集団指導体制撤廃の可能性は?」でも書いてきたように、「民主集中制=集団指導体制」のことである。
 10月27日、CCTVでは、習近平の講話を含めて解説的に六中全会の総括が報道されたが、その中で、「民主集中制」が4回、「集団指導体制」が1回出てきたので、「集団指導体制」に関して、5回も言ったことになる。

 「核心」という言葉に関しては2回使われている。
 このCCTVにおける報道を文字化して報道したものを探すのは、やや困難だったが、たとえばこの報道をご覧になると、(中国語を使わない)日本人でも目で見てとれる。
 後半(最後の部分)には「人民日報」の解説が加わっているので、そこは無視していただきたい。
 前半は習近平が六中全会でナマで言った言葉を報道したCCTVの記録(文字化したもの)である。
 そこには「民主集中制」という言葉が4回出てきており、「集体領導制(集団指導体制)」という言葉が1回、出てきている。

 コミュニケで、わざわざ「民主集中制」や「集団指導体制」を堅持すると言ったとは書いてないのは、それは中華人民共和国憲法で定められていることなので、当然と思ったからだろう。
 憲法を改正して「民主集中制」(集団指導体制)を撤廃するなどということになったら、中国共産党の一党支配は逆に崩壊する。

 だというのに、日本のメディアは一斉に「コミュニケに“核心”という言葉があった」、だから「習近平の一極集中が行われる」「一強体制か」などと書き立てている。
 まるで「集団指導体制が撤廃された」かのような書きっぷりだ。

◆江沢民も胡錦濤も「核心」と呼ばれた

 中でも、27日夜9時からのNHKのニュースでは「核心というのは特別な言葉で、毛沢東とトウ小平にしか使ってない」という趣旨のことを報道していた(録音していないので、このような趣旨の報道、という意味である)。
 それは全くの誤解だ。
 まず江沢民に関して言うならば、「中国共産党新聞」が「江沢民を核心とした中央集団指導体制の経緯」というタイトルで、江沢民を「核心」と呼んだ経緯が詳細に書かれている。
 文革後、毛沢東の遺言により華国鋒が総書記になり、すぐ辞めさせてトウ小平が全体を指揮し、胡耀邦を総書記にして改革開放を進めたが、民主的過ぎるということで失脚し、天安門事件を招いた。
 いびつな形で総書記になった趙紫陽もすぐさま失脚さえられ、天安門事件のあとにトウ小平は江沢民を総書記に指名したわけだ。
 このときに一極集中を図って、何とか中国共産党による一党支配体制の崩壊から免れようとしたトウ小平は、江沢民に「総書記、国家主席、軍事委員会主席」の三つのトップの座を全て与えた。
 そして改めて「江沢民を核心とした集団指導体制」を強調したのだ。
 「江沢民を核心とする」という表現に関しては、列挙しきれないほどのページがあるので、省略する。

 つぎに「胡錦濤を核心とする集団指導体制」に関しては、たとえば、中国共産党新聞(→人民網)が「トウ小平が胡錦濤をずば抜けた核心的指導者としたのはなぜか」という趣旨のタイトルで、胡錦濤を「核心的指導者」と位置付けている。
 この記事が発表されたのが、2015年4月18日であることは、注目に値する。
 つまり、習近平体制になった後にも、「胡錦濤を核心とする指導体制」を強調したかったということである。
 胡錦濤時代の「胡錦濤を核心とする」という表現に関して、すべて列挙するわけにはいかないが、たとえば、2003年6月の「国際先駆導報」には「第四代指導者の核心 中国国家主席胡錦濤」というのがあり、2010年4月の「新華網」は、「胡錦濤総書記を核心とした党中央は…」といった表現が入っているタイトルの記事を公開している。
 また、2011年6月には「胡錦濤同志を核心とした集団指導体制」]というタイトルの記事がある。
 これも探せばキリがないが、江沢民よりもやや少ないのは、胡錦濤政権時代、メディアは、前の指導者の江沢民によって完全に牛耳られていたからである。
 したがって、文革や天安門事件などの特殊な過渡期以外は、「中共中央総書記」は、常に全党員(現在は8700万人強)の頂上に立っているので、常に「核心」なのである。
 そういうピラミッド形式ででき上がっているヒエラルキーこそが、中国共産党の根幹だからだ。

 このような中国の政治の実態を知らずに、なんとしても「習近平が集団指導体制を撤廃して一強に躍り出た!」と言いたい「権力闘争論者」に支配された日本のメディアが、「核心」という言葉を見つけて、鬼の首でも取ったように「ほらね、やっぱり(集団指導体制を撤廃して)一極集中を狙いたいんだ」と煽っているだけである。

◆日本の国益を損ね、国民をミスリードする日本メディアの罪

 このような誤導をする日本のメディアは、日本の国益を損ねるだけでなく、日本国民に災いをもたらす。
 なぜなら、「中国における腐敗の根がいかに深く、いかに広範で、手が付けられないほどになっているか」そのため、「中国の覇権にも、中国経済の成長にも限界が来る」という現実を見逃させるからである。
 腐敗による国家財産の流出は、習近平政権誕生前では、全国家予算の半分に達する時期もあったほどだ。
 全世界に「チャイナ・マネーのばらまき外交」をすることによって、国際社会における中国の地位を高めようとしている中国としては、財源がなくなっていくのは大きな痛手だ。
 これは、日本の外交政策に影響してくる。
 また、腐敗は調査すればするほど「底なしの範囲の広さ」が明瞭になってくるばかりで、腐敗を撲滅することは、このままでは困難だというが実態である。
 中央紀律検査委員会書記の王岐山(チャイナ・セブン、党内序列ナンバー6)などは「100年かけても腐敗は撲滅できない」と吐露していると、香港のリベラルな雑誌『動向』は書いている。
 「大虎」はまだ捕えやすいが、末端の「ハエ」となると無尽蔵にいて、また互いに利害が絡んでいるため、摘発を邪魔する傾向を持つということだ。
 だから「厳しく党の統治を強化する」というのが、六中全会のテーマだったのである。

 日本人にとって、最も重要なのは、
 「中国の腐敗が続けば、中国の経済は破綻し、それは日本経済に直接響いてくる」
ということだ。
 権力闘争説は、日本人の目を、この現実から背けさせるという意味で、日本国民の利益を損ねる、実に罪作りな視点なのである。
 少なからぬ日本メディアに、猛省を求めたい。



Wedge 2016年11月2日 石平
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/8115

習近平VS李克強、
6中全会コミュニケから読み取る権力闘争の実態

 先月27日、中国共産党第18期中央委員会第6回全体会議(6中全会)が恒例のコミュニケを採択して閉幕した。
 コミュニケは共産党総書記であり国家主席の習近平氏を「党中央の核心」の指導者と位置づけたことで、習氏への権力集中が一段と進んだのではとの観測が国内外で広がった。

 確かに、「核心」という位置づけは共産党最高指導部における習氏の突出した立場を強調するものであるから、彼の政治的権威を一段と高める意図がそこにはあったと思われる。
 しかし果たして、習氏個人へのさらなる権力集中は今後もスムーズに進むこととなるのかといえば、実はかならずしもそうとは言えないだろう。
 コミュニケの全文を丹念に読めば、それがよく分かる。

■「核心」と同時に習近平に対する批判や牽制も

 習氏を「核心」と位置づけたコミュニケの文面は、冒頭と最後の2カ所であるが、実はその間の部分ではむしろ、習氏という「核心」に対する批判や牽制と受け止められるような内容が盛り込まれている。

 たとえば、党の「民衆集中制・集団的指導体制」に関して次のような言及があった。

 「民主集中制は党の基本的組織原則であり、党内政治生活が正常に展開されることの重要な制度的保障である。
 集団的指導体制の堅持と、集団的指導と個人的仕事分担の結合は、民主集中制の重要な構成部分である。
 いかなる組織、個人は、いかなる状況においても、いかなる理由を以てしても、この制度を違反してはならない」

 ここでいう「民主集中制」とは、レーニンによって発案され、かつてのソ連共産党と今の中国共産党が掲げるところの「組織活動の大原則」である。
 「批判と討論の自由の保障の上に行動の統一を厳守する」
という、かなり矛盾した「原則」であるが、今までのソ連共産党や中国共産党の実際の党運営においては、むしろその都度の政治状況によって、
 「民主」の部分、すなわち「批判と討論の自由」の部分を強調する時と、
 「集中」の部分、すなわち「行動の統一の厳守」を強調する時
がある。

 今回の6中全会コミュニケの場合、「民主集中制」の中身として言及したのは「集団的指導体制」であるから、そこで強調されているのは当然「民主」の部分であろう。
 そして、習近平氏を初めて「核心」と位置づけたこのコミュニケにおいて民主集中制の「民主」を強調することは、まさに習近平という核心に対する警戒と牽制の意味が込められているのではないかと思われる。

 そして、ここでの「集団的指導体制」への言及は、まさに習氏への権力集中に対する牽制そのものなのである。
 「集団的指導体制」とは共産党のもう一つの「組織原則」であり、文字通り、「重要な方針の決定を複数の幹部の合議によって行うもの」との意味合いだが、中国ではとくに鄧小平時代以来、大変な政治的弊害を生んだ毛沢東の個人独裁に対する反省から「集団的指導体制」が強調されてきている。
 集団的指導体制はあらゆる意味において、まさに個人独裁に対するアンチデーゼ
からだ。

 以前の江沢民政権と胡錦濤政権のいずれもそれを中央指導部運営の大原則にしていたが、習近平政権時代になると、独裁志向の強い習近平氏自身の意向によるものなのか、この言葉にあまり言及しなくなった。
 しかし6中全会コミュニケではこの用語を再び持ち出してことさらに強調しているということは、どう考えても「核心」となった習近平氏に対する強い牽制以外の何ものでもない。
 つまりコミュニケは共産党伝統の「組織原則」を持ち出して、彼個人への権力集中と独裁に歯止めをかけようとしているのである。

■「党内民主」は「党の命」

 「集団的指導体制」を強調するこの部分に続いて、コミュニケはさらに、「党内民主」を論じる段落を設けた。
 「党内民主は党の命であり、党内政治生活の積極健全さの重要な基礎である。
 いかなる党組織と個人は党内民主を圧制してはならない、それを破壊してはならない」
とコミュニケは述べているが、普段は「民主主義」を何とも思わない中国共産党が、
 「党内民主」を「党の命」とまで強調しているのは、コミュニケ全体の文脈からすれば、まさに習近平氏の独裁を警戒して予防線を張った意味合いであろう。

 このように、中国共産党の6中全会コミュニケは、習近平氏を「党の核心」だと位置づけて彼に突出した政治的権威を与えると同時に、習氏への権力集中を強く警戒してそれに歯止めをかけようとする内容となっている。
 しかも後述するように、たとえば文中の「集団的指導と個人的仕事分担の結合」に対する言及や、
 「いかなる党組織と個人は党内民主を圧制してはならない、それを破壊してはならない」というような表現は実は、今までの習氏の政治手法に対するあからさまな批判であるとも受け止めることが出来る。

 習氏に「核心」としての地位を与えながら、彼個人への権力集中を警戒してそれを強く牽制する、
 この一見して矛盾するコミュニケの文面は一体何を意味するのか
 もっとも合理的な解釈は、今の中国共産党指導部は決して一枚岩ではなく、
★.習氏を強く推そうとする勢力と、
 彼を強く警戒して彼が独裁者になることを封じ込めようとする勢力
が厳然と存在している
ということである。
 つまり6中全体コミュニケの矛盾した文面は、まさにこの二つの勢力による抗争と妥協の産物であり、反習近平勢力が存在していることの証拠なのである。

 問題は、この「反習近平勢力」が一体誰のことなのかであるが、それはやはり、中国共産党党内で今、国家主席の習近平氏・その勢力と激しく対立している李克強首相と彼を中心とした共産主義青年団派(共青団派)であろう。

 習近平政権になって以来、国家主席の習近平氏と首相の李克強氏の対立は常に注目されてきたが、2人の険悪な関係が明るみに出たのは今年3月初旬の全国人民代表大会開催の時である。
 開幕式のひな壇上、隣席の習主席と李首相は一度も握手せず、会話を交わすこともなく、視線さえ合わせない異様な光景が衆人環視の中で展開された。

 これまで水面下で激しい権力闘争があっても、表向きは和気藹々(あいあい)とした「一致団結」を装うのが中国共産党政権の「良き伝統」であった。
 だが習主席は李首相への嫌悪感をもはや隠さない。
 対立は既に決定的なものとなった。
 その日以来2人の間では、意地の張り合いのような暗闘が繰り返されてきた。

■激しく展開された「地方視察合戦」

 4月15日、まず李首相は名門の清華大学と北京大学を相次いで視察した。
 首相が1日に2つの大学を視察するのは異例だが、厳しい言論弾圧で知識人を敵に回した習主席に対抗して人心収攬(しゅうらん)に打って出たのではないだろうか。
 そして5日後の20日、今度は習主席が迷彩服を着て人民解放軍の連合作戦指揮センターを視察した。
 共産党の最高指導者が戦時の迷彩服を身につけるのは前代未聞だが、タイミング的には、大学を視察した李首相に対し、「あなたが知識人を味方につけるなら、私は軍の支持を受けているぞ」というメッセージを送ったのではないかと考えられる。

 2人の暗闘はさらに続く。
 4月24日から26日まで、李首相は四川省を視察した。
 首相はかつての四川大震災被災地の農村を訪れたり、都市部の自由市場で民衆と会話を交わしたりと、いわば「親民指導者」としてのイメージを演じてみせた。
 そして彼の四川視察が始まる24日という同じ日に、習主席は安徽省へ赴いて地方視察を開始した。

 中国の国家主席と首相の両方が同日に中央を空けて地方視察に出かけるとは、それこそ異例中の異例である。
 どちらかが相手の予定を事前に察知して、わざとそれにぶつけたのだろうと解釈するしかない。
 習主席は安徽省視察においても、李首相が視察した農村以上に貧困な山村を訪れて民衆の声に耳を傾けるというパフォーマンスを演じてみせた。
 民衆への人気取りにかけては絶対負けないという習主席の意気込みが強く感じられた。

 この「地方視察合戦」からまもなく、中央の北京でまたもや大珍事が起きた。
 今月6日、李首相は中央官庁の「人力資源・社会保障部(省)」を視察し、「就業工作」に関する座談会を開いた。
 首相として当然の仕事だが、おそらく李首相自身も驚いたであろう。
 同日、同じ北京市内で、「人力資源」をテーマとした別の座談会が党中央によって開かれたのである。
 それは、「人材発展体制の改革」に関する習主席の「重要指示」を学習する名目の座談会で、劉雲山・政治局常務委員が主催した。
 李首相が「人材問題」の所管官庁を視察して座談会を開いた日、この所管官庁を差し置いて党中央主催の別の「人材座談会」を開くことは、どう考えても「異常」というしかない。
 明らかに、習主席サイドからの、李首相の仕事に対する嫌がらせと言えるだろう。
 このように、習主席と李首相との政治闘争はもはや「暗闘」の域を越えて明るみに出ていたのである。

 そして李首相サイドからすれば、習主席のこうしたやり方は、首相としての李氏の管轄分野に対する過剰な介入となっているが、まさにこのような背景があったからこそ、前述の6中前回コミュニケにはわざわざ、「集団的指導と個人の仕事分担の結合」の一文を入れて、習主席の手法を暗に批判したと同時に、首相の立場を守ろうとしたのであろう。

 実は習主席の李首相の職務遂行に対する「妨害行為」は外交の分野にも及んでいる。
 中国の場合、首脳外交は本来、国家主席と首相の二人三脚で展開していくものであるが、習近平政権では、
★.習主席は首脳外交を自分の「専権事項」にして、国際舞台で「大国の強い指導者」を演じてみせることで自らの権威上昇を図った。
 一方、本来なら首相の活躍分野の一つである外交において李氏の権限と活動をできるだけ抑えようとした。
 その結果、たとえば今年の上半期において、習主席自身は7カ国を訪問して核安全保障サミットや上海協力機構などの重要国際会議に出席したが、同じ時期、李首相は何と、一度も外国を訪問しなかった。

 そして習主席は就任以来すでに2回にわたり訪米したのに対し、李氏は2013年3月に首相に就任して以来現在に至るまで、首相としてアメリカという国を公式に訪問したことは一度もない。
 国家主席と首相との格差があるとはいえ、李首相の外交活動はかなり制限されていたことが分かる。

■李克強の外交面での活躍がクローズアップされる

 状況が大きく変わったのは、今年9月に入ってからである。
 同7日から、李首相はラオスを訪れ、中国・東南アジア諸国連合(ASEAN)(10+1)首脳会議、東アジアサミットなどの一連の国際会議に出席した。
 その中で李首相は、合従連衡の外交術を駆使し、中国のアキレス腱(けん)である「南シナ海問題」が焦点として浮上するのを封じ込めるのに成功した。

 その直後から、中国国内では、新華社通信と中国政府の公式サイトを中心にして、李首相の「外交成果」に対する賞賛の声が上がってきた。
 「李首相は東アジアサミットをリード、中国は重大勝利を獲得」
 「首相外遊全回顧、外交的合従連衡の勝利」
など、李首相の帰国を英雄の凱旋(がいせん)として迎えるかのような賛美一色の論調となった。

 今まで、外交上の「成果」や「勝利」が賞賛されるのは習主席だけの「特権」となっていたが、今夏までの数年間、首相としての外交活動すら自由にならなかった李氏がこのような待遇を受けるとはまさに隔世の感がある。

 その間に一体何が起きたのか。
★.1つの可能性として推測されるのは、今年8月に開かれた恒例の「北戴河会議」において、
 習主席の内政・外交政策が各方面からの批判にさらされ、習氏の勢いがかなり削(そ)がれたのではないか。

 だからこそ、9月になると、習主席の腹心である天津市の黄興国党委員会書記代理が突如失脚させられ、同じ時期に李首相の外交的活躍がクローズアップされた。
 そして9月21日から人民日報は、李首相の後ろ盾である共産党元総書記、胡錦濤氏の「文選」の刊行を記念して、胡氏を褒めたたえる文章を連続3日間、1面で掲載した。

 つまり、李首相の「外交復権」の背後には、今まで習主席との権力闘争においてやや劣勢に立たされた共産主義青年団派の勢力が、例の「北戴河会議」を経て再び勢いを巻き返してきたことがあったのではないかと思われる。
 10月27日に閉幕した前述の6中全会で発表されたコミュニケが、習近平氏への権力集中に対する警戒と牽制を露わにしたことの背後には、まさに習氏と対立している李首相と共青団派勢力の強い抵抗があったのであろう。

 もちろんそうは言っても、李首相たちは結局、習氏を「核心」と位置づけることを阻止できなかったから、当面の政権内の政局においては、習氏勢力は依然として優位を占めていると言ってよい。
 だが来年秋の十九回党大会に向けて、この二大勢力は今後、より激しい権力闘争を展開していくこととなるだろう。





●福島香織【調べてわかった中国の実態】恐ろしい習近平の権力闘争。日本では考えられない就職倍率。衰退する中国経済。日本人でよかった。
2016/10/26 に公開







【身勝手な大国・中国】



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