今の日本の政治姿勢を決めているのは、中国という外圧である。
経済成長とは内圧である。
バブル崩壊後の時代も内圧である。
しかし、2012年以降、日本は中国という外圧に直面している。
内の政治は霞ヶ関政治でいい。
首相がころころ変わろうと問題はない。
しかし、外圧を受ける政治はそうはいかない。
ここでいう外圧とは暴力である。
「暴力はいけません、暴力は!」
などと叫んで要られるのは内圧政治の時期だからである。
外圧を受けているとき口先の平和からは戦争しか生まれない。
自ら守ってなんぼ、
という歴史の時代に入ってきているということである。
つきつけられた暴力に充分対抗できる政治でなければならない。
その暴力は国民全体に向けられるものであって、国家の存亡にかかわってくる。
国会での綱引き・駆け引きではない。
さすれば中国とは日本を
「国会政治から国民政治へ」と押し出した立て役者
ともいえる。
安倍さんはたまたまその時期に首相の座にいた、というだけのことである。
歴史のめぐり合わせである。
安倍さんが事を為したのではなく、中国が、というより時代が事を為せしめた、ということである。
党内でガタガタやっている時期ではない、ということである。
その程度のことは国民のほうが重々承知している。
「いま、そこにある危機」
として国民は中国を受け止めている、
ということである。
首相がころころ変わっても大丈夫のときは、大丈夫なのである。
首相など誰がやっても同じ、と判断される時なのである。
その程度の問題でしかない、と認識されているということでもある。
国内が主問題の時期だということでもある。
しかし、暴力的外圧が加わる時、即座にそれを停止して一致国家、一致国民に舵をとれる
ということ必要である。
それが正常な国会のノーマルな反応である。
日本はそれが出来ている、
ということでもある。
暴力的外圧がかかっている時は、内部で足の引っ張り合いはしない、
というのが政治鉄則であるが、日本はその規範が充分に守られているということである。
全体日本は正常に機能している、そう言ってもいい。
国家・国民を守るのが国会だということである。
『
東洋経済オンライン 2016年11月05日 薬師寺 克行 :東洋大学教授
http://toyokeizai.net/articles/-/143301
首相の権力基盤は党内支持から国民の支持へ
自民党総裁任期の歴史的変遷から読み解く
政治家に権力闘争はつきもので、自民党も党内実力者がありとあらゆる手を使って、激しく総裁の座を争ってきた。
「総裁任期」もその道具のひとつであり、結党以来、時々の実力者の思惑で2年に短縮したり、3年に延ばしたりを繰り返してきた。
ただし、あまりにも権力争いが激しかったため、任期を全うした総裁がほとんどいないことは忘れられているようだ。
今回、自民党は2期6年までという現在の規定を
3期9年までに延ばす党則改正
をすることになった。
今回の見直しが今までと大きく違うのは、賛否を巡る激しい党内議論がほとんどなかったことだ。
それだけ安倍晋三総裁の力が突出しているのだが、裏を返せば自民党から人材や活力が失われていることでもあり、これはこれで深刻な問題である。
■権力闘争で繰り返された総裁任期見直し
1955年の結党時の自民党総裁任期は2年とされているだけで、再選についての規定はなかった。
この2年という任期については最初から短すぎるという批判が出ていた。
岸信介首相は退陣後、「総裁任期が2年ということは、首相の交代期が2年ごとに来ることになり、諸外国に比べて不安定だ」として、任期4年を主張していた。
当時は今日に比べると派閥の結束力が強く、総裁選のたびに激しい争いを繰り広げていた。
新しい首相が誕生しても1年たつと自民党内の関心は次の総裁選に移る。
よほど強い首相でもない限り、内政や外交に専念にしにくかった。
2年任期が見直されたのは長期政権となった佐藤栄作内閣の末期に近い1971年1月の党大会で、任期は3年に延ばされ再選まで可とした。
この見直しを積極的に推進したのは当時、幹事長だった田中角栄だった。
ポスト佐藤の最有力候補の一人だった田中は、自分が総裁になった時のことを考え、任期延長を実現したのだった。
ところが田中は金脈問題で、その次の三木武夫も総選挙に敗北して、ともに延長された任期を生かすことなく辞任した。
この間も、総裁任期は権力闘争の道具となった。
首相の三木がロッキード事件の解明に積極的な姿勢を見せることに多くの派閥が反発し、三木の退陣を求める挙党体制確立協議会(挙党協)が結成された。
挙党協から総裁任期を2年に戻すべきだという主張がでてきた。
表向きの理由は「任期3年というのは長すぎて、時代のテンポにそぐわない」というものだった。
3年の任期を全うした総裁は一人もいないのにである。
本音は三木に対するけん制だったのか、あるいはポスト三木を狙う福田赳夫と大平正芳が2年で交替するという密約を交わしたためともいわれているが、はっきりしない。
任期2年への短縮は、福田が総裁に就任した直後の党大会で行われた。
ところが福田は首相に就任すると
「総裁任期が2年というのは短すぎて無理がある。
2年ごとに大騒ぎをしていてはどうにもならない。
5年や10年は必要だ」
とそれまでの主張を翻した。
もちろんこんな都合のいい話は実現しなかった。
用意周到に自らの任期延長を実現したのは中曽根康弘だった。
党総裁再選を果たし4年の任期満了を1年後に控えた1985年、中曽根の周りから内閣支持率の高さを理由に3選を認めるべきだという意見が出てきた。
当時は、ポスト中曽根を巡って安倍晋太郎、竹下登、宮澤喜一の「安竹宮」と呼ばれる3人の実力者がしのぎを削っていた。
「3選容認論」に対しては、3人はもちろん党執行部も一斉に反対した。
しかし、中曽根の方が一枚上手だった。
中曽根は任期切れ間近の1986年6月、衆参同日選に打って出て、衆院で308議席という大勝を果たした。
その結果、中曽根は特例として総裁任期を1年、延長されたのだった。
■安倍一強で党内権力闘争は消えた
総裁任期は2001年に再び3年に延ばされた。
この時の改正経過は珍しく権力闘争から外れていた。
議論がなされたのは森喜朗内閣のころで、実現したのは小泉純一郎内閣になってからだったが、2人とも自分の思惑で任期を延長しようとしたわけではない。
見直しの理由は、橋本龍太郎内閣で行政改革が実現し政治主導が制度的に担保されたにもかかわらず、総裁任期が2年では、政治が安定せず、首相が指導力を発揮できないという比較的まっとうな理由だった。
現実に90年代、日本政治は混迷を続け、わずか1-2年の短命内閣が続いていた。そういうことへの反省もあったのだ。
自民党の歴史を振り返ると、今回の総裁任期延長の経過が異例であることがわかる。
今回の見直しのきっかけは二階俊博幹事長の発言だったが、その後はあらかじめシナリオが描かれていたかのように、スイスイと党内手続きが進められて、一気に決まってしまった。
残るのは来年3月の党大会での承認という形式的なものだけだ。
次の首相を狙う元幹事長の石破茂や外相の岸田文武とその派閥から強い反対論は出てこなかった。
自民党の代名詞だった党内権力闘争は消えてしまったかのような現象だ。
それだけ「安倍1強」となっているのだ。
しかしなぜいま3選容認なのか、自民党の政治制度改革実行本部のまとめた「総裁任期の在り方」と題する文書には2つの理由を書いてある。
★.1つは、英国など主な議院内閣制の国では主要政党の党首の任期規定がなかったり、あっても再選が禁止されておらず、自民党もグローバルスタンダードに合わせる必要があるという点。
★.2つ目は、日本が少子高齢化や人口減少など長期的視点に立って取り組むべき課題に直面しており、「こうした課題を解決する大胆な改革を実現するには強いリーダーシップと一定の期間を必要とし、安定政権の確立が望まれる」という点を上げている。
取ってつけたような理由付けだけは、これまでの自民党の歴史と変わらない。
ところがおもしろいことに、この文書には
「あくまでも制度上の任期の見直しであり、
これによって実際の在任期間やその間の政権の維持が保障されるものではない」
とも書かれている。
実際、歴代自民党総裁で党則に規定された任期を全うして辞めたのは中曽根康弘と小泉純一郎の2人しかいない。
長期政権となった佐藤栄作は実質的には任期満了だが、任期切れの3か月ほど前に辞任している。
それ以外の総裁は国政選挙の敗北、自らの不祥事あるいは内閣支持率の低迷などを理由に任期終了前に辞任している。
そういう意味では自民党総裁任期に実質的な意味はほとんどないのである。
■自民党総裁ではなく首相の権力に一本化
日本の議院内閣制度は独特な面を持っている。
法律的には首相の任期は憲法にも内閣法などほかの法律にも書かれていない。
つまり首相は何年でも務めることができるのだ。
ところが自民党総裁に任期規定があるため、総裁任期が来れば総裁だけでなく首相も辞めなければならない。
つまり、景気対策などをうまくこなし国民の支持が圧倒的に高い首相であっても、自民党総裁任期が終われば辞めなければならない。
形の上では自民党則が憲法よりも「上位」に位置するという、奇妙なことになっているのだ。
長い間、自民党総裁(すなはち首相)の権力の源泉は党内派閥の支持にあり、主流派と反主流派が争ってきた。
しかし、今日の権力基盤は国民の支持に移った。
行政府のトップである首相の推し進める内政・外交の政策が成果を上げなければ、
国民の評価が下がり国政選挙で敗れる。
そういう意味では、内政と外交を担う最高権力者の首相と、自民党内権力闘争の勝者である総裁を区別する時代は終わり、前者の方に一本化されつつあるのだろう。
自民党総裁任期が最大9年と最長に延期されたことは、安倍首相の思惑とは別に、自民党総裁=首相の政治的意味が大きく変質したことを示している。
』
Record china配信日時:2016年11月6日(日) 5時30分
http://www.recordchina.co.jp/a139897.html
東京五輪まで続投可能の安倍首相、
“有力後援者”は
中国?習指導部と「持ちつ持たれつ」の奇妙な関係も
2016年11月4日、自民党の総裁任期が「連続3期9年」に延長される。
これにより、安倍晋三首相は20年の東京五輪を首相として迎える可能性もある。
その安倍首相の有力な“後援者”は、うがった見方をすれば中国。
中国共産党の習近平指導部と「持ちつ持たれつ」の奇妙な関係も存在する。
日本の言論NPOと中国国際出版集団が今年8月から9月にかけて日中両国で実施した世論調査によると、現在の日中関係を「悪い」と見る日本人は昨年と変わらず71.9%と、依然7割を越え、14年から始まった改善傾向が止まった。
この1年間の変化についても、日本人の44.8%が「悪くなった」と判断。
今後の日中関係の見通しについては、「悪くなっていく」という見方が日本人で前年比10ポイント増の34.3%となった。
相手国への印象が良くない理由(複数回答)について、
★.日本側は「尖閣諸島周辺の領海・領空をたびたび侵犯しているから」が64.6%で最多。
★.「中国が国際社会でとっている行動が強引で違和感を覚えるから」が51.3%
で続いた。
東シナ海や南シナ海での中国の傍若無人に見える振る舞いに反発が集中。
中国に譲らない安倍首相の姿勢が政権に“追い風”が吹く要因の一つになっている様子がうかがえる。
一方の中国。13年12月に靖国神社を参拝するなどタカ派色の強い安倍首相は、歴史問題で日本をやり玉に挙げ中国共産党の求心力を高めるカードとして欠かせない。
ツッコミどころ満載だからだ。
例えば、8月の内閣改造の防衛相人事。前任の中谷元氏は防衛大学卒の自衛官出身だが、中国通とされた自民党の故加藤紘一氏に近かった。
抜てきされた稲田朋美氏は自民党内でも有数の保守派。
弁護士時代には戦時中、中国で「百人斬り競争」を行ったとして処刑された旧日本軍少尉2人の遺族が朝日新聞などを相手取り、名誉棄損の損害賠償と出版差し止めを求めた訴訟に原告代理人の一人として参加した。
稲田防衛相は就任直後の日本メディアとのインタビューで「百人斬り」を否定。
これに対し、中国国防部は
「歴史を否定すれば中日関係の未来はない」
と強く反発する談話を発表し、さらに
「侵略の歴史を美化したいだけだ。国際秩序に挑戦し、軍国主義をよみがえらせようとしている」
と批判した。
安倍首相の対外政策は、韓国で評価が高い。
軸がブレず、リオデジャネイロ五輪の閉会式で「マリオ」になったように
「日本の利益のためなら何でもする」
とみられている。
韓国の朴槿恵大統領は昨年9月の抗日戦争勝利70周年記念パレードで習国家主席と天安門上で肩を並べたかと思えば、今年7月には中国の反対を押し切って在韓米軍への高高度迎撃ミサイル(THAAD)配備を認めるなど、対外政策の振幅が大きい。
中央日報がさきごろ、韓国の専門家31人に「主要国の指導者の中で最も実利的な外交がうまい人物」を尋ねたところ、65.5%を占める19人が安倍首相を選んだ。
』
『
Record china配信日時:2016年11月14日(月) 12時0分
http://www.recordchina.co.jp/a155027.html
「またしても中国を標的に!」と中国紙、
日本の3部門が「武装漁民上陸」想定の訓練
2016年11月14日、環球時報は、
日本の警察、海上保安庁、自衛隊が共同で「グレーゾーン」に対処する訓練を行ったことについて、「また中国を標的にした!」と報じている。
日本メディアによると、武器を持った漁民が島に不法上陸したという想定でこの3機関が初めて共同訓練を行った。
警察や海上保安庁だけでは対応できない、いわゆる「グレーゾーン」への対応を確認したという。
関係者は「訓練は特定の国や場所を想定したものではない」としているが、日本メディアは海洋進出を進める中国を念頭に置いたものと分析。
環球時報も「またしても中国を標的に!日本の3部門が武装漁民上陸の対応訓練」というタイトルで伝えている。
』
『
共同通信 2016年11月27日16時28分 (更新 11月27日 19時02分)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/article/291969
「米軍駐留費増は不要」が86%
内閣支持60%に上昇、
世論調査
●安倍内閣支持率の推移
共同通信社が26、27両日実施した全国電話世論調査によると、米国のトランプ次期大統領が選挙戦で負担増に言及した在日米軍駐留経費(思いやり予算)について「日本の負担を増やす必要はない」との回答が86・1%に上った。
内閣支持率は60・7%で、前回10月の53・9%から上昇した。
支持率が60%を超えるのは、2013年10月26、27両日調査以来。
不支持率は30・4%だった。
安倍晋三首相がトランプ氏や、ロシアのプーチン大統領らと相次いで会談するなど首脳外交を展開したことが支持率アップにつながった可能性がある。
』
『
Record china配信日時:2016年12月2日(金) 18時50分
http://www.recordchina.co.jp/a156646.html
なぜ安倍内閣の支持率は上がったのか?
=「国民のために一生懸命だからだ」
「小泉首相以来、最も成功した首相だと認めざるを得ない」―中国ネット
2016年12月2日、中国のポータルサイト・今日頭条は安倍内閣の支持率が上昇した理由について分析する記事を掲載した。
記事は、韓国では大統領の支持率が危機的なまでに落ちているのに対し、日本メディアが行った調査では、安倍内閣の支持率は3年ぶりに60%を超えたと紹介。
首相が頻繁に変わる日本の政局で、国民の8割が反対する安保法案を成立させ、問題閣僚も少なくない安倍内閣が、支持率を上昇させたのは注目に値するとした。
その理由について、トランプ氏の米大統領選勝利後、すぐに会談するなどの積極性や、首相自らセールスマンを担当する積極外交が評価されたことや、野党の不甲斐なさを挙げた。
その上で、日本は政治ゲーム時代に入っており、政治に対する国民の関心が薄く、支持率だけで政治能力を判断することはできないと主張した。
』
逆の見ているようだ。
「日本は政治ゲーム時代が終わり、国民政治時代に入ってきている」、とすべきだろう。
この動きを支えているのはなによりも、中国の恫喝圧力であり、これなくして安倍内閣の安定性はない。
国会で次から次えと首相の代わる政治ゲームをやる時代は終わったということである。
政治ゲームができるということは、それだけ平和で安定していた時代であったということでもある。
いまや、中国という怪物の前では真摯に対応するしかない国家の存亡が測れないという状況になっている。
「時代の質」が安倍内閣を支えているということである。
【身勝手な大国・中国】
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